2006年04月26日Ⅱ-1. 就農までの道程① さて先の章ではミニマム主義の考え方について書きましたが、ま まずは私が就農に至るまでの道。今、就農希望者が増えています 私、西田栄喜(通称 源さん)は今居住地となっている、石川県で 小さい頃から農家をする気は毛頭なく、むしろうらびれた産業と 大学時代は何にも考えずに遊び呆けていました。ただ日常の暮ら 大学4年になり、親のコネで地元銀行への就職が決まっていたので 北海道で出会ったのが霧多布岬の民宿「きりたっぷ里」のオーナー オーナーは東京で寿司職人をされていたのですが、思うところあっ そんなことがあって、北海道から大学のある静岡の三島に帰って 2006 04 26 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年04月27日Ⅱ-1. 就農までの道程② バーテン時代に今の考え方の基礎をマスターから、またお客さま 働いていたアフターバー石垣はホテルバーが街に飛び出してきた そこのマスターが厳しい方で、「水商売というのはそれだけで不 またカウンター越しの距離感を教えられました。「お客を獲得し 実際そうやってつぶれた店も沢山見ました。はじめてのお客様で 風来のコンセプトは「毎日食べ続けられる味と価格」です。これ マスターは、「サービス業のサービスとはお客さまのためでは ここ非常に勘違いしやすいですよね。お客さまの為となると、 2006 04 27 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年04月28日Ⅱ-1. 就農までの道程③※サービス業の目的 私は今でもサービス業の視点から農業をみています。その基礎 バーテン時代は厳しいマスターについたおかげで色々なことを学 プロのバーテンは氷の溶ける量を計算してカクテルグラスぴった そんなこともあり、あちこちのバーを飲み歩いている時も最初は、 しかし自分自身経験をつんでくると、そういったものも大切だ よい店は初めて行ったところでも落ち着けます。そのマスターそ それからサービス業の目的は味や価格はもちろんあるでしょうが、 そして人に幸せを与えられる人はすべからくその人自体、家庭環 今になってその想いは強くなってきています。農家として農の重 2006 04 28 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年05月02日Ⅱ-1. 就農までの道程④ バーテンも3年が過ぎたころです。お客さんもついてきてくれ相 大学を出てそのまま静岡の三島でバーテンになった。しかもそ そうするとどこならよいのか?石川に戻るか、それとも根無し そこで海外で住むことが出来れば、日本のどこででもやってい そんな理由で行くのでお世話になったマスターにはとりあえず それを聞いて、ホントいいところで修行されてもらったな~と 送別会は結婚式場をかりて150名ぐらいのパーティー。そのとき そういえば、今は憧れの人や将来の目標とする人を持たない人 2006 05 02 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年05月06日Ⅱ-1. 就農までの道程⑤ ワーキングホリデーで向かったオーストラリア。どこの都市に パースは世界一美しい街といわれていますが、住んでみて実感 驚いたのは街の景観を守るためと一番の中心地にあった銀行を さてそんなオーストラリアに住んで感じたのが真の「生活力」。 オーストラリアではお父さんといえば、先ず家を直せます。少 「生活力」とは生きていける力。お父さんは家族を守る存在そ 2006 05 06 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年05月08日Ⅱ-1. 就農までの道程⑥ オーストラリアに一年いる間はほとんどパースに住んでいました パースからタスマニアに行くにはまずアデレードに行かなければ 驚いたのはその間、いっさい川がなかったということです。その あと実感したのが荒野の意味。日本にいる時は荒野と聞いてもピ そういった意味で日本は荒野はなく、なんと土地の有効利用が出 荒野には少し草や樹はあるもののとにかく乾燥しています。日本 オーストラリアにいる時はまだ農業の「の」の字も意識していま 2006 05 08 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年05月09日Ⅱ-1. 就農までの道程⑦2006年5月9日 タスマニア島では40ちかくあるワイナリーをバイクですべて周 ワイナリーのオーナー達はそれぞれプライドがあって、目の前 そんなタスマニアの旅でしたが、バイクが故障(完全大破)し そしてヒッチハイク中に拾ってもらった農家の家に泊めてもら 「俺達がいなければこの国は飢えるんだ。」「農は尊い産業な 正直その頃は農業といえば斜陽産業だと思っていたので、ショッ そして古い写真を見せてくれて「この写真を見ろ、100年前に曾 変わることがよいと教えられてきたのでこの考え方の違いにも 2006 05 09 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年05月10日Ⅱ-1. 就農までの道程⑧ オーストラリアはほとんどパースに住んでました。1年経ち、帰国 帰国してもサービス業への想いは尽ききませんでした。パースに 接客業の最高峰といえばホテル。ということで帰国後は地元に戻 しかし幸か不幸か、偶然そのホテルの上の方に自分のバーテン時 フロントマンの経験は研修の半年となりましたが、おかげで人事、 特に人事では苦労しました。ホテルといってもビジネスホテルの 2006 05 10 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年05月11日Ⅱ-1. 就農までの道程⑨ バーテン時代には好きな仕事をしているな~と実感がありまし 仕事を辞めたい理由は給料が安いとか、休みが少ないという理 そんな話に相槌を打ちながらも「そんなにイヤなら辞めてしま 自分がホテルの雇われ支配人となり、サラリーマンは大変だな~ オーストラリアに行き、「いつでも帰る場所が出来た、これで ホテルの支配人業自体はやりがいもあり、勉強になりました。 何かが違うと感じながら、辞めるのに1年以上かかりました。で 一歩引いてみると何でもないことなんですが、その渦中にいる 2006 05 11 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |
2006年05月12日Ⅱ-1. 就農までの道程⑩ 地元に帰るとした時に頭をよぎったのがやはりサービス業をし オーストラリアでは地元意識がとても強かったのが印象的でし 地元意識の根底には情報の発信が各地にあることではと漠然と 考えてみると日本では情報はすべて東京発になります。流行自 でも農業だけでは東京からは発信出来ない。そして地域独特な またサービス業ということで飲食を考えたのですが、その素材 さらに一歩進めて考えると、「人は食べ物がないと生きていく サービス業の視点、つまり命の視点でみる農業。そんなことが 2006 05 12 | この記事へのリンク | トラックバック (0) |


